Club Med のお話 第2話 [自分のこと]
続き
私は最初の任地がニューカレドニアのヌーメアにあったクラブメッドシャトーロワイヤル(現在は残念ながら閉館したようです。)でした。
ニューカレドニア、ヌーメアのアンズバタビーチに立つClub Med Chateau Royal
赴任したのは11月で南半球のニューカレドニアは初夏にあたります。町のいたるところに火炎樹が咲き乱れる一番お勧めの時期です。
はじめての海外が旅行ではなく仕事であったこと。しかも英語の通じないフランス語圏であったため、最初の1ヶ月は大変でした。仕事の指示や、スケジュール表に書いている単語がわからないなど、コミュニケーションをとるのに苦労しました。ですからみんなが寝ている深夜にわからない単語を辞書で調べて理解する努力をしました。しかし慣れとは恐ろしいもので、2~3か月も経つと普通に仕事ができるようになりました。ようは慣れですね!
その後は自分の居場所も見つかり、友人もたくさん出来ました。1番の友達はオーストラリア出身のマイケルです。彼は僕と同じ年であったこと、同じマリンスポーツ担当であったこと、彼が日本語を勉強しており、ぼくは彼から英語を教えてもらったことなどの理由もあり、彼が異動するまでいつも一緒でした。
1番の友達だったマイケルです。
苦労は若いうちにという言葉がありますがホントその通りです。今となっては吸収力のある20代にいろいろな経験をしたことが現在にも生きています。
私は最初の任地がニューカレドニアのヌーメアにあったクラブメッドシャトーロワイヤル(現在は残念ながら閉館したようです。)でした。
ニューカレドニア、ヌーメアのアンズバタビーチに立つClub Med Chateau Royal
赴任したのは11月で南半球のニューカレドニアは初夏にあたります。町のいたるところに火炎樹が咲き乱れる一番お勧めの時期です。
はじめての海外が旅行ではなく仕事であったこと。しかも英語の通じないフランス語圏であったため、最初の1ヶ月は大変でした。仕事の指示や、スケジュール表に書いている単語がわからないなど、コミュニケーションをとるのに苦労しました。ですからみんなが寝ている深夜にわからない単語を辞書で調べて理解する努力をしました。しかし慣れとは恐ろしいもので、2~3か月も経つと普通に仕事ができるようになりました。ようは慣れですね!
その後は自分の居場所も見つかり、友人もたくさん出来ました。1番の友達はオーストラリア出身のマイケルです。彼は僕と同じ年であったこと、同じマリンスポーツ担当であったこと、彼が日本語を勉強しており、ぼくは彼から英語を教えてもらったことなどの理由もあり、彼が異動するまでいつも一緒でした。
1番の友達だったマイケルです。
苦労は若いうちにという言葉がありますがホントその通りです。今となっては吸収力のある20代にいろいろな経験をしたことが現在にも生きています。
2009-10-29 09:41
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