海の話 第1話 [自分のこと]
私は海が好きです。私の故郷は山の中ですが、やっぱり海が好きです。こんなに好きになってしまったのは、海の仕事を経験したせいでしょうか?そんな私の海でのお話を今日は書きます。
私は20代のころ、東京のハウスメーカー系列のリゾートホテル会社に在籍しており、鹿児島県の与論島の某リゾートホテルに勤務していました。このリゾートは与論島の西側にあり目の前にきれいなビーチと海が広がる最高のロケーションでした。
私はここでゲストサービス部マリンレジャー担当として特に船舶関係の管理運行を任されていました。この船は私が船長として管理運行していた船でとても愛着がある船です。
1991年のはじめからヤマハの蒲郡工場で建造し、6月に与論島にやってきました。値段は1億4千万円くらいだったと記憶しています。車のように大量生産するものではないので同型船でも癖に違いがあり、就航から3年くらいは各所の不具合、故障に悩まされました。ですが故障が多ければ多いほど海の男としては経験を積めるわけで、私の師匠も故障の多い船ほど経験も愛着がわくと常々おっしゃっていました。
運行を始めて3年くらいたつと各所落ち着いてきて故障が少なくなってきます。しかし毎日の整備や定期的な補修工事は必要で、何年も乗っていると故障の前触れがカンで分かるようになるので不思議なものです。
次回はこの船でのお仕事をお話ししたいと思います。
私は20代のころ、東京のハウスメーカー系列のリゾートホテル会社に在籍しており、鹿児島県の与論島の某リゾートホテルに勤務していました。このリゾートは与論島の西側にあり目の前にきれいなビーチと海が広がる最高のロケーションでした。
私はここでゲストサービス部マリンレジャー担当として特に船舶関係の管理運行を任されていました。この船は私が船長として管理運行していた船でとても愛着がある船です。
1991年のはじめからヤマハの蒲郡工場で建造し、6月に与論島にやってきました。値段は1億4千万円くらいだったと記憶しています。車のように大量生産するものではないので同型船でも癖に違いがあり、就航から3年くらいは各所の不具合、故障に悩まされました。ですが故障が多ければ多いほど海の男としては経験を積めるわけで、私の師匠も故障の多い船ほど経験も愛着がわくと常々おっしゃっていました。
運行を始めて3年くらいたつと各所落ち着いてきて故障が少なくなってきます。しかし毎日の整備や定期的な補修工事は必要で、何年も乗っていると故障の前触れがカンで分かるようになるので不思議なものです。
次回はこの船でのお仕事をお話ししたいと思います。
2009-09-17 16:55
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